ぴーはつくんの未来ブログ

EMET Creation株式会社を通じて未来を創る社長のブログ

パーソナライズこそ究極の広告でありコンテンツ

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完全なるパーソナライズド配信こそが

”広告”の究極の形となる。
 
広告とはそもそもどういった役割だろうか。
人間が商品を購入するまでに得る情報の一部といえる。
 

 ≪人間が購入に至るまで≫
 
 1、何らかの情報でその商品を知る
 2、購入する
 
この2ステップがある。
 
ここで1の中を紐解いてみる。
 
 コンテンツ群
 →
 (新聞、テレビ、ネット、雑誌、書籍、街中、友だち)
 
これらの情報の中から特に興味の高いコンテンツを選び、そこからの情報により購入する商品が決まる。これが2ステップの一連の流れ。
 
このコンテンツ群の中の情報における部分集合として”広告”というコンテンツが横断的に含まれる。
 
ここで、購入に至るまでの情報における広告の寄与割合が100%になる世界を考えていきたい。
 

『パーソナライズ=広告=コンテンツ』
 
究極的にはこの等号が成り立つことになる。
 
全てのサービスは人間にとって商品とも呼ぶことができる。
商品(サービス)を購入(体験)するまでの流れは極限までシンプルにしたい。
 
では商品を購入するまでのステップを紐解いてみる。
 
 1、{情報(全てのコンテンツ(広告を含む))}
        ↓
 2、{購入に足る商品かの調査}
        ↓
 3、{商品(サービス)の購入(体験)}
 
この3ステップがある。
 
ここで「2」のステップが非常にふくざつで重い。
情報が急激に多角化してきている現在において、
リテラシーの二極化が進み、
最適な商品の購入ができない人間を増やしてしまった。
 
この「2」のステップにこそが人工知能を活用すべき箇所だと言える。
 
その理由は以下になる。
じつは2と3を辿る間に、正確にはもう一つステップがあるためだ。
 
 
 1、{情報(全てのコンテンツ(広告を含む))}
        ↓
 2、{購入に足る商品かの調査}
        ↓
   ☆{購入"したい"商品の選択}
        ↓
 3、{商品(サービス)の購入(体験)}
 
 
つまり、人間は数ある情報の中から更に様々な情報を掛け合わせ、購入に至るまでの判断を下している。その時には過去本人がどういう判断を下してきたか、そしてその結果どうなったか等の事例との確認作業を脳で行っている。
 
これは裁判で弁護士などが確認する過去判例の調査と等しい役割。
そしてこの箇所こそ、近年 AI に職が置き換わると叫ばれている箇所。
 
よって、商品購入に至るまでの意志決定のステップにおいてもステップを下記のように変えていきたい。
 

≪『パーソナライズ=広告=コンテンツ』となる未来の世界≫
 
 2、{購入に足る商品かの調査} ※コンテンツの足切り
        ↓
            ※[テクノロジーがここまで代行]
 1、{情報(全てのコンテンツ(広告を含む))}
        ↓
   ☆{購入"したい"商品の選択}
        ↓
 3、{商品(サービス)の購入(体験)}
 
 
もっと正確に表現するとここは2軸ある。
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広告の割合が100%になるまではこの2軸が厳密な表現になる。
 
 

『広告=コンシェルジュであり秘書』
 
ユーザーにとってネガティブな概念である広告の存在を一新したい。
 
今だとお偉いお忙しい経営者の人とかにしかついていない”秘書”のような存在が誰しもに必要。
これまでは忙しい人が限られていた。現在は誰でもが情報に溢れている時代。
全先進国の人類には付いていた方が良い。雇用するお金の問題さえなければ。
 
だがその問題も、テクノロジーで解決できる。
有償無償を問わず、次にする行動の多くはある程度秘書に足切りしてもらい、
最終判断を下すだけの日常を過ごしていきたい。
 
見るに値するコンテンツ・商品・広告なのかどうかの調査はテクノロジーに任せればいい。
人間のすることは最終判断をするフローだけでいい。
 
この状態の方が優先したい行動により多くの時間を配分することが出来、効率が高い。
 
これが、「購入に至るまでの情報における広告の寄与割合が100%になる世界」に突入する土壌となる。
 
 

この状態でのテクノロジーが進化していった先には、
この最終判断に関しても、AIにおける機械学習により、限りなくその人間の望む判断が下せるようになる。
 
ただ、ここは倫理感にも基づくところなため、完全に100%までは移行しないのではと個人的には思う。
法律や制度的なところで、【最終の判断に関してはAIを用いてはいけない】のような規制
 
そのため出てくるのは、ギリギリまで近い選択肢のレコメンド。
ここまでが近未来に訪れる人間の生活環境になっていく。
 
今すぐはきっと「そんな機械にコントロールされた世界はイヤだ」。
のような意見が根強く残ることと思う。
 
 
ただ考えてみて欲しい。
 
洗濯機が当たり前になった今、「手で洗う方がやっぱり着心地良いよね」
なんて誰も言わないだろう。
 
裕福な人の一部では、
「洗濯機を回す」と言う行為すら誰かに代行してもらっている。
ソレが当たり前になれば「汚れた洋服がキレイになる」のも当たり前の感覚となる。
 
浅い判断に関しては全てテクノロジーで補完し、
より深い判断にのみ自分のリソースを費やしていく。
 
余計な雑務に脳のCPUを消費せず、とことん自分らしい行動を追求することができる。
 
 

≪広告→レコメンド→秘書≫
 
その時代において、
"広告"に対する今のようなイメージは、もっと失われていくのじゃないだろうか。
 
日常的に購入(体験)しなければならない物ごとは探したくない・選びたくない。
 ※(ex,ティッシュやお水は足りなくなったら勝手に買っといて欲しい )
 
好きなものごとには、よりいっぱいの時間をかけることができる。
 
 "好きなことに集中できる世界" 誰もをそこに連れて行きたい。
 
このような未来を創る為に、今日も働いています。
 
ぱお
 
 
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※インスパイア文献
 
サウスパーク 266 s19e09 Truth and Advertising
 
広告に判断を支配された世界をシニカルに切り取ったストーリー。
当時Twitterでもシェアしたけど、わずか20分でとっても濃いから
広告に関係する人は毛嫌いせずみんなみてほしい。
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